サラテ代理人がラツィオ幹部を痛烈批判 内部事情を暴露 ラツィオ トライアングルペペナント型ステッカーラツィオのFWマウロ・サラテの代理人、ルイス・ルッツィ氏が、
スポルトイタリアのテレビ番組『calcio mercato』のインタビューで、
ラツィオを痛烈に非難しています。
「ラツィオは、ロティト会長そのもの。
過去もなければ、未来もない。
存在するのは、ロティト会長だけ。 会長は、マウロに2000ユーロを費やしてからは、
もうマウロについて話すことはなかった。
サラテがローマに着いたときは、
スポーツディレクターがいなかった。
だから、(古巣のアルサッドとの)カタールでの交渉は、ほとんど私がやったんだ。
1年目は、良かったけど、それから、2008年にターレがやって来た。
だけど、ロティトは、ターレのことを信用していなかったから、
サバティーニの意見を聞いていたようだ。
ただ5か国語を話せるってだけで雇ったんだなんて話を私は聞いたよ。
ラツィオxユヴェントス戦で、ターレとサラテがもめたことがあった。
ターレは、自分の連れてきた選手じゃなかったから、いつも、マウロのことを嫌っていた。 それに、ロティト会長に気に入られようとしていたから。
移籍金を交渉するために、カタールに行ったとき、
ターレはマウロの悪口を言っていた。私生活のことでさえもね。
2009年12月には、サラテが代表から28日に戻ることが不満だと、
2時間も電話で文句を聞かされたよ。
他のアルゼンチン選手たちは、30日にチームに戻って行ったというのにね。
しまいには、バッラルディーニから、サラテには熱意が足りないと非難される始末さ。
クラウディオ・ロティト会長は、傲慢で、
脅したり、紳士的とは言えない態度をとる。
もし、ロティト会長が警官3人を連れて歩いているなら、
私は、軍隊を連れてこないといけないね。
一度、カタールで暴力を振るわれたことがあるんだ。
ロティト会長に両手で、首を絞められたこともある。(サラテがレギュラーチームから外れていることについて)
こんなことが起こるのは、ラツィオだけだよ。
チームが午前中、練習をするなら、サラテは午後練習する。
チームが午後練習なら、その反対。
ラツィオが午前と午後とも練習なら、
サラテは13時に練習を始めるけど、
ユースチームの対戦相手が使うロッカールームを使うんだ。
練習は、ディアキテ、カヴァンダ、フォッジャ、バレートと一緒で、チームとは別。
でも、誰も何も言わない。
トンマージは、(こんな状態なら)リーグ戦を中止すると約束してくれたが、そうはならなかった。
アルゼンチンだったら、「サラテはどうした?」とか、聞くものだよ。
サラテは、ラツィオを去るつもりだ。
お金はもらわなくていい。
昨夏、私は、ラツィオの合宿の間、ずっと一緒にいたけど、
誰からもコンタクトをもらえなかった。
我々は、契約金を下げたり、
ラツィオの条件には、できるだけ合わせようとしてきた。
だけど、ポジティブな答えは一度ももらえなかった。
ロティト会長は、勝ちたがり、とにかく大勝ちしたがりなんだ。 (ロッカールームでサラテが孤立していることについて)
ラツィオのロッカールームの様子は、ジェノア戦で分かったと思う。
マツザレムがあんな形でブロッキにタックルしても、
ラツィオの選手たちの反応は、
カンビアッソがジョヴィンコにファールをしたときのユヴェントスの選手たちの反応とは違った。
これが、ラツィオの選手管理の表れだよ。
(ディナモ・キエフへの移籍が白紙になったことについて)
モンテカルロにディナモの会長と話しに行き、10分で話がまとまった。
マウリートがキエフに行きたがっているとも説明した。
ただ、ディナモは、マルコ・ルーベンをトレード要員にし、足りない分を上乗せするつもりだった。
だが、この提案は、ターレに受け入れられず、移籍は白紙になった。
それが1月22日のこと。
それから、29日。ユヴェントス戦の後で、
ロティト会長が「サラテがウクライナ行きを受け入れることを望む」などとしゃべったものだから、
私は、移籍が実現するものと思ったんだ。
だけど、事実は違った。
我々はただ泥をかけられただけ。
ジェノアにだって、100%行けた。
行かなかったのは、サラテがラツィオで貰っている年棒の半分しか、ジェノアには支払い能力がなかったから。
我々は、ロティト会長に捕らわれている。 会長との不和は決定的だ。
(休養を与えられている間に、モルディブへ旅行していたことについて)
サラテがモルディブへ行ったのは、事実。
だが、ラツィオがそれを知らなかったというのは、真実ではない。
怪我をしていたわけではないが、
プライベートな性質の病気が理由だった。
外に漏れてしまったのは残念だ。」
ルッツィ代理人は、番組内で、
サラテがモルディブ旅行の前にラツィオに送った手紙を公開しています。
「ご存知のように、2ヶ月の間、私は屈辱的な環境で過ごすことを強いられてきました。
ディアキテ、カヴァンダ、バレート、フォッジャ、ディ・マリオとともに、
レギュラーチームから外れて活動するように強いられました。
通常の練習時間から外れて、
監督は不在、他の選手たちとも接触することはありませんでした。
このような状況から、
メンバーの何人かが練習を欠席するようになりました。
しかし、
誰も、欠席したことを叱責されることはありませんでした。
これは、選手のコンディションに対する全くの
無関心さの表れです。
ご存知のように、私は法的手段に訴えることにしました。
けれど、この状況は、私の健康や精神面にも重大な影響をもたらしています。
2月28日、ラツィオが推薦する医師に受診し、
ストレス性皮膚病との診断を受けました。
また、神経精神科医の診断書を添付します。
これは、別の医師によるもので、私に
30日間の休養を勧めています。」
これが真実なら、ラツィオの雰囲気はあまり良くなさそうな感じですね。
一度は、CSKAの本田選手のラツィオ移籍が実現仕掛けたこともありましたが、
逆に、実現しなくて良かったんじゃないかと思うくらいですね。
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