新ローマ法王ベルゴリオ枢機卿が選出 前回は選ばれないよう嘆願していたことも
イタリア時間の3月13日19時06分、
第266代ローマ法王に、アルゼンチン人の
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が
コンクラーベ第5回目の投票で、選出されました。
ベルゴリオ枢機卿は、現在76歳、イエズス会に所属し、ブエノスアイレスの大司教を務めていましたが、
これからは、ローマ法王として「フランチェスコ」と名乗ることになるそうです。
イタリアの『Repubblica』紙によると、
フランチェスコ法王は、約10万人の観衆が集まるサン・ピエトロ広場に面したバルコニーから顔を出し、
「兄弟姉妹の皆さん、今晩は。
皆さんご存知のように、
コンクラーベの使命は、ローマの法王を選ぶことです。
私の兄弟である枢機卿たちは、
法王を世界の果てまで探しに行ったようです。」
と、述べたそうです。
フランチェスコ法王自身が、”世界の果て”という表現を使用しているように、
ローマから遠く離れた南米から初めて選出された法王になります。
『Repubblica』紙によると、前回の2005年のコンクラーベでは、
最終的にベネディクト16世が選出された第4回目の投票を前に、
ベルゴリオ枢機卿が涙しながら、
他の枢機卿たちに、自分を選出しないよう嘆願していたことが
多くの証言により伝えられているそうです。
その理由には、若い頃に肺の1つを摘出しており、健康上に問題があったためではないかと言われているほか、
アルゼンチンの軍事政権時代に無言を貫いていたことも、
その理由ではないかと言われています。
「フランチェスコ」という名前について法王選出後の記者会見には、ニューヨークのティモシー・ドラン大司教が出席し、
”フランチェスコ”命名の理由を説明しています。
「法王は、
アッシジの聖フランチェスコにちなみ、
フランチェスコの名前をお選びになったそうです。
貧しい人々や社会的に恵まれない人々に奉仕した聖人で、
法王のお仕事もそのようになるでしょう。」
また、ロンバルディ司祭によると、
公式な法王の名称は、フランチェスコ法王で、
報道機関の一部が使用していた
フランチェスコ1世ではないとのことです。
将来、フランチェスコ2世が現れた時初めて、
フランチェスコ1世の名を使用することになるそうです。
法王の出身地フランチェスコ法王は、初の南米出身ということで注目されていますが、
ベルゴリオという姓からも分かるように、
イタリア系アルゼンチン人として知られています。
フランチェスコ法王の曽祖父が
ピエモンテ州のアスティ県ブリッコ・マルモリト出身で、
法王の父は、祖父の移転先のトリノで生まれているそうです。
その後、父がアルゼンチンに移住し、
フランチェスコ法王が誕生したそうです。
法王は、ピエモンテ州とのつながりを保っており、
10年前には、祖先の出身地を知りたいと、
ブリッコ・マルモリトを訪問し、従兄弟らと対面したそうです。
数日前にも、アスティのブリンニョロ市長が法王に手紙を出し、
法王の出身地を訪ねるよう招待していたとのことです。
イエズス会初のローマ教皇もう一つ注目されている点は、フランチェスコ法王が
イエズス会初の法王であることです。
イエズス会は、1534年にイグナチオ・ロヨラによって創設された歴史のある宗派です。
何世紀にも渡り、その
権力は強大であったにもかかわらず、
これまで、ローマ教皇を輩出したことはありませんでした。
イエズス会は、階級制の組織構造に基づいており、
中でも、最高権力を持つ総長は、伝統的に
”影の教皇”と呼ばれています。
したがって、フランチェスコ法王がローマ教皇に就任することにより、
ついに、表の教皇もイエズス会が占めることになるようです。
ちなみに、現在のイエズス会総長は、かつて日本教区長を務めていたこともあるアドルフォ・ニコラス司祭です。
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