親日家デル・ピエロ 移籍先は日本、米国、ブラジルのいずれか先日、震災チャリティーマッチに出場し、ゴールを決めたデル・ピエロ。
↑ユベントス退団後、初試合
デル・ピエロにとって、日本は、1997年インターコンチネンタルカップの決勝で、リバープレートと対戦した際、決勝点を決めた思い出の地。
試合後のインタビューの逸話がヤフー・イタリアで取り上げられている。
(http://it.eurosport.yahoo.com/notizie/piero-giappone-torno-presto-futuro-in-j-league-162556957.html)
「ここ(日本)に戻ってくるたびに、いつも喜びを感じる。
僕が日本に興味を持ったのは、小学校5年生のときだ。
地理の宿題で、世界の国について発表しなければならなかったんだ。
理由は覚えていないけれど、僕は日本を選んだんだ。
日本のクラブでプレー?
来季、どのチームでプレーするのかはまだ分からない。
でも、まだチームが決まっていなかったから、今夜ここにいられるんだ。 ←粋なセリフ
まだ先のことは分からないけど、これだけは言える。
近いうちに、(日本に)戻って来られるよう願っている。」
移籍に関しては、意味深なコメントを残したデル・ピエロ、
タイから500万ユーロのオファーがあったとされるが、そのオファーを断った模様。
デル・ピエロは、移籍先に、日本、米国、ブラジルを希望しているとの噂。
日本に来てくれるといいな。
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